[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
フリーワールド 田柄さん
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=182511
田柄さんの新作。毎回、こんなことも表現できるのか。と驚嘆するし、意欲的な作品を続々と生みだしていてすごいなあと感じていたのですが、今回もすごかった。世界の本質を鋭い筆致でえがきだしているようにおもいます。わたしは読んで、いろいろなことを考えてしまって、ちょっと胸がいっぱいになってしまった。長くなるけど、以下にかんがえたことを書きます。
この世界は自由で、自由すぎていやになることがときどきある。人間ってほんとうは自由をおそれているのではないか。おそれているのに、どうしようもなく魅力的でしょうがないのが「自由」なのではないか、とおもう。
この自由という脅威からなんとか逃れるために、人は規範を求めルールをつくった。人を殺してはダメだし、他人のものを盗ってはだめ。そして、そのルールを守るのも自由だ。けれど守らなかったら罰するよ、というルールをさらにつくった。規範が規範を生み自由な状態からわたしたちは遠ざかってゆく。自由はこわい。なにをすべきか、なにをされるのか、なにがおきるか。なにひとつわからなくなってしまうからだ。
とはいえ、自由は欲しい。世の中には、不自由であふれていて、こんな常識なくなってしまえばいいのに。とおもうことなんてしょっちゅうある。身分や国籍、さまざまなしがらみから、たくさんの問題がおこる。そんなニュースがながれるたび、ままならない世界だなあと感じる。
でも、本当はうすうすみんな感づいているのだとおもう。今ある規範が自由の上に成りたっていることを。ある日、突然、秋葉原で事件はおこるし、ある日、突然、ビルに航空機は突入する。それは、自由だからだ。規範というものを度外視して、自由にふるまったからだ。なにかの動機や信念に突き動かされていても、基本的にはそれが自由だから起こった。わたしはそんなとき、自由は、カオスはこわいと感じる。
そして、それでもなお自由を欲する自分を抑えることはできない。だれかが好きかもしれないあの子と、わたしはなんとかおしゃべりしたりデートをしたいとおもう。そういう気持ちは自由だ。けれど、もしかしてあの子はべつのやつを好きなのかもしれない。わたしのことがきらいかもしれない。それも自由だ。
わたしたちは、様々な自由の元に生きる。生きることは祈りに似ている。叶えられるか、叶えられないかはわからない。あの子がだれを好きになるか、ぼくは何になり、どう死んでゆくのか。なにひとつわからない。そのどう転ぶかわからない感じが、祈りに似ているとおもう。
ということを、わたしはおもったのだ。すくなくともこのぐらい書いてしまうぐらいの力がこの作品にあるので、ぜひみなさんも読んでみてほしい。すごい!
石畑由紀子
ことこ